松風 1

松風 第一回 

 ズレを大きく巻き込んで

               北野健治

 〈じき〉:「時季」「時期」「時機」。「時」をモチーフにした三つの言葉。

 二本松出版を始めるにあたって、共同運営者のK.I.(樹)と製作物を手掛ける準備段階で、まずは紙媒体ではないものから活動し始めようということになった。具体的な物を手掛けるのをいつまでも待つのではなく。

 そこで、出版社の運営方針のバックボーンともなる考えを、ブログ上で「じき」に触れて随筆の形式で私が載せることになった。あくまでも「随想」ではなく「随筆」として。

 K.I.にも話したのだが、この国で最近に特に痛切に感じ入るのは、「歴史感覚」の欠如。

私が育った「昭和」もだが、それ以前の出来事が若い世代にうまく伝わっていかない。それは、この国の大きな損失であり、未来の可能性の幅を狭めている。

 私たちが考える「歴史」は、教科書的なことだけではなく、リュシアン・フェーヴルのような日常に足をつけた「今」を中間点においた時の流れ。例えてみれば、藤田省三の「隠れん坊の精神史」のようなもの。それをもっと今と身近に引き寄せて語ってみたい。

 マイブームのスピノザを端緒に、ドゥルーズに辿り着く。彼の手強い思想の解説で國分功一郎氏が、ドゥルーズの「差異」を日常の繰り返しをモチーフに語っている。まるでアッバス・キアロスタミの映画「友だちのうちはどこ?」を彷彿とさせる。この小さな「差異」も「歴史」。

 これから、その「差異」=ズレを大切に、不定期ではあるが語っていきたい。「正しさ」を振りかざすのではなく、さまざまなズレの反応を巻き込み、膨らみ流れていく。その風が、「かつて」から「いまだ」へと吹き渡る風のように。この「松風」が、さまざまな人と場所を通り抜けていくことを願って。

2025年4月27日

              (つづく)

タイトルとURLをコピーしました