松風 第一一回
国の生き方
北野健治
「在日米軍が日本国内で円滑に活動できるようにするために特別な権利を定めた協定。
(後略)
地位協定は28条で構成される。2条で日本国内の基地使用を米側に認め、3条で基地内の管理・運営などのために米側が『必要なすべての措置を執ることができる』としている。(中略) 協定に実効性をもたせるため複数の特別法も制定されている。」(「特権を問う:日米地位協定とは 米軍特権の基礎知識」、毎日新聞ネット記事、二〇二一年一二月二一日)
「米兵、4人ひき逃げ容疑」(朝日新聞、二〇二五年五月二七日、朝刊)との大見出しで、沖縄に関する新聞記事が載っていた。本文中には、「ほかにも県内では23~25日、住居侵入や公然わいせつの容疑で米兵2人が(沖縄)県警に逮捕された。」(カッコ内は筆者補足)。
国政選挙時や憲法記念日に近づくと、憲法改正の話題がでる。以前にも書いたが、法も生き物だ。その時代に適合するように改定すべき。およそヨーロッパの国々で、現日本国憲法が制定されて以降、自国の憲法を改定していない国はないと聞く。
憲法改正の根拠として挙げられる理由のひとつに、現憲法は、制定当時に連合国軍、つまりはアメリカから押し付けられたものだから、というものがある。だから我が国自身で考えた自主憲法を制定する必要があると。
ならば、先に触れた「日米地位協定」については、どう考えるのか。“自主”憲法を唱える人たちの意見を聴いてみたい。
「公務外の事件・事故の場合、裁判権は日本側にあるが、被疑者が米国に拘束された場合は、日本側が起訴するまで、引き続きその身柄を米側が拘束する。」(「日米地位協定第17条(概要)」、『沖縄から伝えたい。米軍基地の話。 第2章 米軍基地の現状と日米地位協定』、沖縄県資料)。
この条文によると、日本で起こした公務外の問題でありながら、米側が拘束している状況では、日本の警察は手出しができない。これは、一種の治外法権ではないのか。
さらに疑問なのは、この協定内容は、日本にとって不都合なものにもかかわらず、協定が締結された一九六〇年以降、一度も改定が行われていないということ、
押し付けられた憲法よりも、主権を無視された協定を見直すほうが、この国の主権を国際的に問う意味で重要なのではないか。
国や自治体の選挙が行われるとき、いつも思うことがある。投票率のこと。およそ五割も満たない投票率で、国や自治体の方針を決める代表者を選出していいのか。
私案として、投票率が六割未満の場合は選挙不成立とする。六割を超えるまでは、何度でも選挙を行う。費用や手間がかかったとしても、それは国民の責任放棄の結果とみなして。なぜならこの国の未来を負う義務があるのだから。
投票方法に問題があるのなら、投票率を上げるようなシステムを構築すればいい。なんなら今はやりのAIに投票率の上げ方を相談するのも一考だ。
「日本国憲法で定められている『国民主権』。でも、私たちは『選挙の時だけ主権者』に陥っていないか――。そんなあり方を見直そうと、現在の憲法のままで国民が政策ごとに賛否を投票したり、国会に議論を促したりできる『イニシアチブ(国民発議)制度』の導入を目指す市民グループがある。」(「声あげて国民主権アップデート」、朝日新聞、二〇二五年五月二七日、朝刊)。
市民グループの共同代表は、三三歳の大学院生。いつの時代にも、国のこれからを考える若い人たちはいる。その規模とスポットライトの当たり方が違うだけで。
この国を愛する。それは、意思を持った「国」の生き方を考えることでもある。先のグループの存在に励まされながら、私はこの国の成長と明るい未来を信じている。
2025年5月27日
(つづく)