松風 第二〇回
ひとつの場で舞う
Japanese Modern Classic 3
北野健治
日本が生んだダンスのジャンルに“舞踏”がある。その創始者は、土方巽(一九二八―一九八六)。いわゆる西欧のダンスの概念を瓦解し、日本人の身体と歴史に基づいた低い重心で身体をさらけ出し舞う。
第六回で取り上げた大野一雄(一九〇六―二〇一〇)は、その担い手として位置づけられるが、少し違和感がある。彼は確かに土方と共演したことはある。だが、ダンスに対するアプローチは異なっていた。それは、土方が大野に出会った際に、彼を「発見した」というコメントがいみじくも表している。
ここに興味深い事実がある。土方の舞踏の系図に、大野の子息・大野慶人(一九三八―二〇二〇)が連なっている。彼は、土方の舞踏のデビュー作「禁色」(一九五九年初演)に、少年役で出演しているのだ。
そうした経緯を踏まえて、慶人氏の表現について、私はあるときまで、私はうがった見方をしていた。一雄氏の天衣無縫な自由奔放な表現に対して、慶人氏は型に則ったような自制的な表現として。
その認識を一変させる出来事があった。
ある日、自宅に郵便物が届く。差出人の名前は「大野慶人」。いぶかりながら封を切る。中から一編のDVDが出てくる。
『花と鳥 舞踏という生き方』(著者:大野慶人、発行:有限会社かんた)
そこには、「大野慶人」のすべてが刻み込まれていた。
彼の舞台では、馬の頭部の被り物やウサギの耳のヘアバンドを頭上に載せて舞うことがある。私はそれを「型に則る」ことと混同していたことに気づかされた。
かつて知人が、慶人氏の舞台「花鳥風月」を観たときに、「きれいなひとだね」と評していた。そのとき私は、舞台衣装と表現の型のことのコメントとしてしか捉えていなかった。そうではなかったのだ。
一雄氏の誰にも――たとえ子息であっても――追随できない表現方法。それに対する舞踏からスタートした慶人氏のまぎれもないダンスの本質へのアプローチの仕方だった。
一雄氏にも、慶人氏にも、ダンスの根底には「魂」のかたちがある。それは、「かたち」と言いながら型のないもの。この一見矛盾した「かたち」。だからこそ、この瞬間の肉体を通してしか顕現できないのだ。
かつて映画館で、一雄氏の特集が組まれたときのこと。彼自身ではない、彼の舞踏の本質を解き明かす一編のフィルムが、本編に続いて上映された。タイトルは失念したが、私の魂に染み入るその「舞踏」は。いまだに忘れることができない。
それは、慶人氏による指人形での舞踏。あわく、はかない、それでいてゆるぎない「魂」のかたち。私は暗闇の中で静かに目を潤ませていた。
「美しい」
最近、井筒俊彦(一九一四―一九九三)の影響を受け、「存在」と「魂」を同義語のように考えている。氏によれば、イスラム教にとって「存在」とは、以下のような解釈になるという。
「花が存在しているのではなく、存在が花している」
私の理解では、大きなひとつの「存在」から具体的な事物が発生しているということ。滅すれば、また元の存在に回帰していく。「魂」も、同じことではないのか。だから私たちは、ひとつの「魂」にあくがれるのではないか。
「舞踏という生き方」は、「魂」とその美しさが存在することを追究したドキュメントだ。その舞いは、今もなお彼岸と此岸のはざまのひとつの場所で続く。
2025年10月19日
追記 できればいつの日か、本文で触れた慶人氏の指人形の舞踏のフィルムをDVDで公刊されること願ってやまない。
(この項つづく)

