松風 21

松風 第二一回 

 知識人の覚悟

Japanese Modern Classic 4

               北野健治

 ことばは生きている。だから生まれもするし、死にもする。現在では、死語となったであろうことばのひとつに、個人的には「知識人」がある。

 【知識人】知識・教養のある人。インテリ。(※①広辞苑 第二版補訂版)

 昨今、大学での教養学部の動静について話題になっていた。教養=リベラル・アーツ。この「教養」も、また死語と言えるのかもしれない。

 【教養】①教え育てること。②単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それに準じてあらゆる個人的精神能力の統一的創造的発達を身に着けていること。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。(※①前掲書)

 少しカタく、小難しくなってきた。私的にはさまざまな時代や社会に対する、深い造詣と視野、理念と展望を持つこと。もっと簡単に言えば、それは「志」で、「知識人」とは、「志を持っているひと」ということにほかならない。

 今では話題になることが少なくなった、私的な教養人たちについて、思いつくまま何度か取り上げたい。

 その筆頭を飾るのは、林達夫(一八九六―一九八四)。

 編集・評論・翻訳と多面的な活動を行った彼の特質がよく顕われ、理解の端緒になる著作がある。久野収との対談集『思想のドラマトゥルギー』(※②発行所:株式会社平凡社 以下『思想』と略)。そこには、林の志が、どのように育まれ、志向しているのかが、具体的な出来事や遍歴した書籍などを通じて語られている。

 私が林に圧倒されるのは、テキストの読み込み方の深さ。さらには、それをもとに敷衍する思考の鋭さだ。

 林が生きてきた時代――とりわけその前半生――は、大学に進学する層はごく一部で、ましてや外国文献を入手し、読み砕く人種は、ほんのごくわずかな人たちだった。その中でも、林のテキストの内容の把握と翻訳の正確さは群を抜いている。

 その林にして、第二次世界大戦中に、「東方社で陸軍参謀本部が買いあげた海外向け宣伝誌『FRONT』の編集に携わっ」ている(「」内※②『林達夫のドラマトゥルギー 演技する反語的精神』 著者:鷲巣力 発行所:株式会社平凡社 以下『林達夫』に略)。そのことに対する林自身のコメントは、私自身は目にした記憶はないのだが。

 林の評伝を読むと、本人は饒舌で、実直で熱血漢な性格だったよう。それに比して、思いのほか著作は少ない。先の『思想』の中で、林は晩年、友人に自身の思想をまとめた著作を上梓するよう勧められたときに、「まだ何も始まっていない」と感得したというエピソードが載っている。

 林の人と思想については、右の評伝『林達夫』に、すぐれて紹介されている。なので、私の力量で評することはない。ただ私が語ることができるのは、林を通じて得る私自身の「経験」――このことばについては、回を改めて取り上げる――についてだ。

 それは、冒頭に触れたように彼の著作を通じて、私の視野が拡がり、思考方法が鍛錬されるということ。それも読み返すたびに、新たな発見があるということも付け加えて。何よりも私自身の「思想のドラマトゥルギー」なのだ。それは他では経験することのできない、まさに生きたドキュメント。

その「ドラマトゥルギー」には、林の「志」と「覚悟」が反映されている。ここまで書いてきて、私は初めて得心した。私が林を何よりも敬慕するのは、知識人としての「覚悟」――これも死語か――という矜持を持っているからなのだった、と。

2025年10月26日 

             (この項つづく)

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