松風 22

松風 第二二回 

 経験は深化する

Japanese Modern Classic 5

               北野健治

 前回の林達夫の項で、「経験」ということばに触れた。この「経験」について、私自身のその後の理解を決定づけるエセーがある。高校生の現代国語の教科書に載っていた「霧の朝」(『遥かなるノートルダム』所収、発行所:筑摩書房)。筆者は森有正(一九一一―一九七六)。

 森は、第二次世界大戦後の官費による海外留学の第一陣として一九五〇年にフランスに渡仏する。――余談だが、このときのメンバーの一人に、ピアニストの田中希代子がいる。彼女については、いずれ触れてみたい――。

 ネットで略歴を調べると、留学後はフランスに在住し活動していたが、日本に永住帰国を決めた矢先に、パリで客死した(Wikipedia参照)。

 話をもとに戻そう。高校時代の私は、授業中に先行した他の単元を読むのが趣味だった。その趣味の中で、深く静かに震撼したのが、「霧の朝」だ。

 いま改めて先のエセーを確認したところ、全文を教科書の一単元に掲載するには長い。だから前半一部の抜粋だったのだろう。その中から記憶に触れる文章を二ヵ所ほど抜き出してみる。

 「(前略)僕のいろいろ学んだことの一つは、経験というものの重みであった。さらに立ち入って言うと感覚から直接生れて来る経験の、自分にとっての、置き換え難い重み、ということである。」

 「経験が名辞の定義を構成する……。これに経験という言葉の含蓄する意味の一部かも知れないが、またその本質的な部分であるに相違ない。」(以上、「霧の朝」より)

 島の高校で、授業とは違う単元を読んでいた私は、何か知ってはならない秘密を知り、もう元には戻れないような畏れを抱いた。

 その当時の私の浅薄な理解力では、「経験」と「体験」は決定的に違うということを直観した。

 「体験」に関しては、教科書には掲載されなかった同エセーの後半部分に以下のような記載がある。

 「僕のいう経験はいわゆる体験とは似てもつかないもの(注:原文ママ)なのである。体験主義は一種の安易な主観主義に堕しやすいものであり、またそれに止まる場合がほとんどつねである。」

 「(前略)体験が増大したのを(体験はどんなアホウの中でも機械的に増大する)自己の()()が深まったのととりちがえているのである。」(同エセー、点ルビ著者)

 なかなかに体験への痛烈な批判が綴られている。

 では、「体験」と「経験」とは、どう違うのか。私としては、生のレベルの違いとしたい。「体験」とは、蓄積されるが深化しないもの。今の私の謂いでは、「経験」とは「存在」に根差しているということだ。

森は、フランス在住期間が長かったこともあり、先のようなエセーを発表していることで、ヨーロッパ的な気質の人間のように思われるかもしれない。

だが、私にすれば、その経験の層において、極めて「日本的」なのだ。その一つの所作として、彼が残して発表されている日記類がある。私が指摘したいのは、その内容ではなくスタイルのこと。

日本の古典の『土佐日記』をはじめ、日記スタイルの著述は、この国の独特なジャンルといえるのではないか。他者に読まれることを意識しての私的吐露。そこには書かれている自分と書いている自分を冷静な距離感を持って見つめる第三者の視点を自身に内在させるというテクニック。それこそ体験とは違った経験がなせる技だ。

話題にされることが少ないが、オルガニストとしての森の一面も興味深い。彼の遺したアルバム(「思索の源泉としての音楽―新しく生きること」、レーベル:PHILIPS)には、彼が終生向き合ったバッハのオルガン曲が、パイプオルガンで録音されている。

それにも、先に触れた彼の資質がよく反映されている。抒情に流されることなく、一音一音を自分の生に照らし合わせるかのような演奏。それは、プロの奏者による音楽とは違った、上手・下手といったテクニックとは違う、ひとりの人間の経験が刻み込まれた音の深さがある。その響きは、彼のエセーを貫いている。

一一月のパリは霧の季節だとかのエセーで森は言う。それまで陽光に満ちて、外に向かっていた意識が内へと向かう季節の到来。この時季を迎えるたびに、私は幾度とこのエセーと経験を喚起する。

2025年11月2日 

            (この項つづく)

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