松風 第二三回
寛容の烈しさ
Japanese Modern Classic 5
北野健治
私が読み続けてきた作家に、大江健三郎がいる。彼は、私の文学を主とした思想の水先案内人でもあった。島での中学生時代から彼の著作を通じて知りえた人物の作品を自分なりに読むこと。それが、もうひとつの読書経験だった。
前回の森有正と大江には、接点がある。それは、フランス文学者の渡辺一夫(一九〇一―一九七五)。森には、同じ大学で働く先達として、大江には大学の恩師として。私は、大江から渡辺を知った。
この項で連続して取り挙げた林にしても森も、その存在は大きすぎて実際のところ、私には力量不足は否めない。それを自覚しながらのアプローチ。私たちには誇るべき先人がいたことを、次世代への伝言として。
そこで私がとった方法は、彼らに刻まれた私への影響の中のキーワードに絞って表現することだ。林は「覚悟」、森は「経験」だった。その謂いでは、渡辺は「寛容」になる。
私は、大江を通じて渡辺が「ユマニスト」であることを知った。「ユマニスト」とは、何か。
【人文主義者】人文主義者(中略)とは、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した、ルネサンス期(14世紀―16世紀)の知識人のこと。(中略)日本ではフランス語のまま「ユマニスト」(仏:humaniste)と表現されたりもする。(Wikipedia)
渡辺のユマニストとしての生涯と思想を読み解いた秀逸な著作として、大江の『日本現代のユマニスト 渡辺一夫を読む』(岩波セミナーブックス8 発行所:株式会社岩波書店、※①)がある。ここには、大江の愛情に満ちた恩師の実情に迫るドキュメントが拡げられている。
ユマニストとしての渡辺は、この大江の著作の中で語り尽くされている。それを踏まえて、私が渡辺のユマニストの本質を改めて表現すると「寛容」になる。
「寛容」について、タイトルになる渡辺の文章が遺っている。「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」。メッセージは直截的だ。
大江が渡辺から影響を受けた教えのひとつに、「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」があるという。これも、ある種の寛容の精神ではないか。
このように渡辺を語ると、彼が温厚なイメージにまとまりやすい。が、次のような文章も残している。
「例えば、今度抹殺した文章の中に、「蝗軍の三光戦術」という表現があった。私は、試みに、三十代四十代の知人二、三に、この表現が判るかと訊ねてみたが、「よく判らぬ」という返事だけしか得られなかった。(中略)今更、この表現に秘められた無慚なことを説明しようとも思わない。ただ、同じようなことが、これから先、何かの美名の下で行われ得る事態が到来しないようにと心から希うより外に“いたし方ない”。」(点ルビ著者、“”筆者補足)(『曲説フランス文学』「XVI 結びの言葉(附記)」 発行所;株式会社岩波書店)
「いたし方ない」。この表現について、大江は前掲書(①)の中で、こう述べている
「――「いたし方ない」というのは、先生にとって特別の言葉だったのですが――」。
「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」、「いたし方ない」。ここに、私は渡辺のユマニストの本質を観る。ここから立ち顕われる「寛容」」のかたちは、決して甘いものではない。不寛容に傾きかねないギリギリの地点で、声を荒げることなく、静かに烈しく闘う知識人の姿だ。
渡辺が終生貫いてきたユマニストの姿勢。私をはじめとして、改めてユマニスムの思想とともに、どう向き合うのかが、今、問われている。
2025年11月5日
(この項つづく)
