松風 24

松風 第二四回 

 黒い記号の総体を解く

               北野健治

 イスラエルによるガザへの攻撃は、いまだ続いている。パレスチナ問題は、現代史に現存するアポリアだ。政治的問題の判断は別にして、無辜の民がただそこに存在しているというだけで殺害されている。同じ時代の、いま、遠い彼方で。この事実は明確だ。

 かつて私にとっては、パレスチナ問題は、教科書レベルの話題で、時折ニュースに上るときに関心を持つ程度のものだった。それが、あるテクストを読むことで一変した。

 前回の渡辺一夫の資料を本棚で探しているときに、一冊の本が目に入った。『恋する虜』(著者:ジャン・ジュネ 訳者:鵜飼哲/海老坂武 発行所:人文書院)。この本を目にしながら、あるテクストのことを思い出していた。

 『シャティーラの四時間』(著者:ジャン・ジュネ 翻訳;鵜飼哲 発行所:インパクト社 以下「シャティーラ」と略)。この作品は、インパクト社が発行していた雑誌『インパクション』(五一号)に初出された。残念ながら、改めて探してみたけれど、その掲載誌は見つからなかった。

 蛇足ながら、『インパクション』は、第一九七号を最後に休刊(Wikipedia参照)。現在このテクストは、幸運なことに単行本化されている(『シャティーラの四時間』訳者:鵜飼哲/梅木達郎 発行所:株式会社インスクリプト)。

 なぜ「シャティーラ」を知ったのか。それは朝日新聞での紹介記事だった。この作品を読むことで、ジュネ(一九一〇―一九八六)への評価が一変した。それまでは、『泥棒日記』で代表されるような男娼の、ある種際物の作家という浅薄な理解だった。が、この作品を読むことで、彼が世界を通してリアルを追究する作家として私の中で確固たる場所を占める。

 このテクストについては、訳者の鵜飼哲氏による内容を凝縮したコメントがある。

 「七〇年代初頭のヨルダンのパレスチナ体験の回想と、八二年の虐殺の克明な描写を、光と闇、生と死がかわす眼くばせのように綴り合わせたこの見事なテクストは、一九六一年の『屏風』以来、ジャン・ジュネが書いた最高の作品となった。」(『恋する虜』「『恋する虜』完成にいたるジュネ晩年の歩み―あとがきにかえて」)

 イスラエルの建国については、ユダヤ民族の背負ってきた歴史的事実を踏まえ、その背景を抑えるためのテクストとして『ユダヤ人の歴史』(著者:鶴見太郎 発行所:中央公論新社)がある。ここでのユダヤ民族は、アウシュビッツで語られる悲劇とは別の角度のディアスポラを強いられ、故郷を渇望する人々のドキュメントがある。

 私は紛争が起きたときに、いつも考えることがある。それは極めて単純なこと。紛争当事者が、相手の立場になったときに、いま自身が手を貸している行為に対して、どのように感じるか、ということ。複雑怪奇な世界政治の世界では、何の解決にもならない、甘っちょろい方法だとは判っている。が、私にとっては、この方法が、一番リアルなのだ。

 『シャティーラ』を経て、ジュネは最後の作品『恋する虜』をものにする。このパレスチナ問題をモチーフにした膨大なテクストは、ひとりの作家の人生が凝縮されている。そのようにしか私にはコメントできない。作品の冒頭が次のように始まるように。

 「始めは白かったページを、いま、上から下まで、こまかな黒い記号が走り抜けている。文字、言葉、コンマ、感嘆符などで、このページが読みうるとされるのは、これらのおかげだ。とはいうものの、心の中には一種の不安が残り、吐き気にきわめて近いむかつきがあり、書くことをためらわせる気持ちの揺れがある……現実はこの黒い記号の総体なのだろうか?」

「黒い記号の総体」を読み解くこと。ジュネから私たちは問われ続けている。

2025年11月9日 

            (つづく)

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