松風 第二九回
憲法は生きている
北野健治
つい先ごろ、石破前首相のもとで衆議院議員選挙が行われた。その記憶も冷めやらないうちに、また高市現首相が、二月八日に総選挙を行うことを決断し、衆議院を解散した。
今回の総選挙の争点は、高市内閣に対する信任投票が表向きの理由だ。実際は、高市首相の支持率の高いうちに選挙を行い、衆議院の定数の過半数を自民党に刷新するというのが本音だろうけど。
安倍元首相の薫陶を受けたタカ派の評判が高い高市首相は、安倍氏の悲願でもあった日本国の憲法の改憲も、選挙結果では目論んでいることは否めない。
私は、基本的には改憲論者である。その理由は、ルールは生き物だから。その時代の要請に応じて、現行のルールに不都合が生じた場合は改めるべきだ。なぜならルールは、あくまでもひとが主体であり、それに応じるべきものだから。
改憲については、第9条が必ず話題に上る。それは、第二次世界大戦の結果を踏まえれば、至極当然のことだろう。が、それ以外のルールについても、問われる必要はある。
例えば、「両性の合意のみに基づいて成立」(点ルビ筆者)する第24条の婚姻。現行法のもとでは、この国での同性での婚姻は認められていない。
その延長線上にある夫婦別姓の問題。婚姻による同一姓は、憲法では明確には規定されていない。条文として機能しているのは、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」という民法第750条の条文だ。
このように、日本国憲法の構成は、本文で規定概念を取り扱い、細則は、憲法下の各法律で規定するという構造となっている。
そこでだ。今回私が取り上げたいのは、首相による衆議院の解散権の行使である。
今回調べたところ、その拠り所となる憲法の条文は、第7条と第69らしい。第7条は、天皇の国事行為としての規定である。
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために左の国事に関する行為を行ふ。」(点ルビ筆者)
その3項に
「衆議院を解散すること。」
とある。つまり、内閣の助言と承認に基づく解散ということ。
そして、第69条には、
「内閣は、衆議院で不信任の決議を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。」
とある。
見てのとおり、どちらも首相による解散権については、明確に規定されていない。
前述したように、今回の総選挙の目的は、内閣の信任だという、だが高市内閣は、昨年10月に発足したばかりで、具体的な実績をあげてはいない。それをどう信任しろというのか。
これまでも、そのときどきの首相による恣意的な解散が行われてきた。これを機会に、首相による解散権の行使に関する明確な条文を憲法に規定するべきではないか。国民の労力と税金の無駄遣いを防ぐためにも。
その際に私が考える条件のひとつに、組閣後の一定期間の解散権の行使の制限である。信任判断の対象となる実績をあげなければ、解散はしてはならない。それは普通の価値判断だ。
コンセプトとしてのルールに、具体的な規定を再検討する。改憲論に必要なのは、その視点ではないのか。
1946年11月に公布された日本国憲法。それからすでに80年余りが経つ。第二次世界大戦後に、憲法を改憲していないヨーロッパの当事者国はないと聞く。
ある条文だけを標的にするのではなく、グランドデザインを含めて再検討する。その時期にきている。なぜなら、憲法は生きているのだから。
2026年2月1日
(つづく)
