松風 31

松風 第三一回 

 バカヤロー

               北野健治

 祭壇に飾られたいつもの表情の彼が見守る中、棺の中の無精ひげ面の、何も語らない彼の寝顔をじっと見つめていた。

  •         *

 今ではすっかり街の表情が変わってしまった、つつある渋谷に、かつて「KAZZ」というバーがあった。二坪にも満たない空間のカウンターバー。五人も座れば満員で、盛り上がった夜には、カウンターの中にまでも常連が入っていた。

 僕がそのバーを知ったのは、二十代最後の夏に、大阪から単身で上京し、転職した出版社の上司の紹介だった。

 転職して三ヵ月近く経った頃、初めて誘われた上司の飲み。食事のあと。

「君は飲みに行ったりするのかい?」

僕は、大阪ではバーで独り飲みすることが多かったことを話した。

「確か、このあたりにバーがあったと思うんだけど」

JR渋谷駅の南側、国道246号線にかかる歩道橋を渡り、桜の大木の老樹がそびえていた付近で、そのバーを見つけた。

そのバーに上司と行ったのはそれきりで、僕の行きつけの店になった。

バーの不文律のマナーのひとつに、店に馴染むまでは、自らのことは自ら語らない、といったものがある(と思う)。僕が店の仲間(メンバー)たちと普通に会話するようになったのは、店に顔を出し始めて三か月以上も経ったころだろうか。

店は生き物だ。特に飲食、それも手を加えることの少ない酒を売るバーは。その空間をしきるマスターによって店の性格は決まる。良くも悪くもマスター次第。

マスターのカズさんは、インテリだけどそれをひけらかさない、こだわりを持った人物だった。それに惹かれて集まってくる客たちも、癖のある愛すべき人たちだった。

まだバブルの余韻が残っている日々。三十台を中心に独り身の男たちは、夜な夜なバーに集まった。そこでは職業や肩書は無意味で何の値打ちもなかった。ただその人物のキャラクターだけがレーゾンデートルだった。だから、自分本位のつまらない登場人物は、知らないうちに淘汰されていく。そこでは、おしゃべりではなく、どう話すことができるかが判断基準だった。

次第に話し始めたメンバーたちとは、バーだけでなく、店の前後に一緒に食事をしたり、休日には遊びに行くようにもなった。それは、まるで“家族”のようだった。

そのひとりに、彼がいた。食品会社に勤め、食に対する蘊蓄は人一倍だった。メンバーの中では若手だったにもかかわらず、蘊蓄をかたる「偉そうな」語り口から、KAZZの「偉そうな」もの言い三人衆に祭り上げられていた。言わずもがなだが、愛すべきキャラクターとして。

彼と出会って三十年余り。付き合いの濃いときも薄いときもあった。何年も合わないこともあった。でも会えば、バーでの日々のように会話した。なぜなら、“家族”だから。

彼からLINEが届いたのは、昨年の十二月。体調が悪いので検査に行くという。できれば、正月の初詣帰りにでも会えれば、とのメッセージ。くだんの彼らしからぬLINEに、少しの胸騒ぎを感じながらOKの返信をした。

年が明けて、すぐに彼にLINEした。いつ、どこで会おうか。ほどなく彼から返信がある。申し訳ないけど、体調の関係で延期させてほしい。

正月が過ぎ、しばらくしてから彼からメッセージが届く。検査入院していたけど、退院することになった。ついては、その帰宅途中に会えないか、と。

運命は残確なもので、その機会を僕は逸した。

逸した後に、先の胸騒ぎが再び起こり、思い切って僕は彼に電話した。

「いったい、どうしたんだ?」

「すい臓がんで、ステージ4だった」

余命宣告を受けたという彼に、僕は行き所のない怒りを言葉でぶつけた。

「バカヤロー」

しばらくたって、僕から彼にLINEした。彼の地元に出向くので会えないか。

「バタバタして慌ただしいので、今は難しい」

その次の彼からの連絡は「再入院」だった。

「病院にお見舞いに行きたいのだけど」

「今は、身内のみの面会。もう少ししたら退院できる予定」

彼の誕生日の前日、LINEが来る。

「(2月)21日に退院したのですが26日に再入院しました。

もしかしたらもう外には出られないかもしれません。

落ち着いたら面会出来るかもしれません。

その時は一度御足労お願いします」

すぐに返信する。

翌日の探勝日。お祝いメッセージを送る。他のメンバーたちからも。その誰にも返信はなかった。それ以降のメッセージは、既読スルー。

春分の夜半。カズさんのパートナーから電話がある。悪い予感。彼が他界したという。

*         *

 何を伝えたかったのかい? 無精ひげの彼に尋ねた。僕は、一生問い続けるだろう。そして、みんなでバカなことをしていたバーでの日々を思い出していた。

 あっちへ行ったからって、終わりじゃないぜ。いつまでもファミリーは続くから。きっとまた、みんなで集まる「(バー)」をつくるから。そのときは、きっと来なよ。

 享年56歳。早すぎる逝去。 

 花に包まれた彼の出棺を見送りながら、最後にもう一度胸の内で声を上げた。

 バカヤロー

 僕は泣かない。

2026年3月5日 

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