松風 第一五回
写真で絵を描く
北野健治
僕には、大切な写真家がいる。
写真については、島にいるころから興味を持っていた。でも、写真に真剣に向き合うようになったのは、草月出版に入ってから。
小企業では当たり前のことだが、できるだけ仕事は外注せずに、自分たち社内スタッフで行う。取材記事やちょっとした物撮りは、編集者が撮影していた。
入社前は、ほとんどカメラを手にしたことはなかった。が、否応なしに撮影することになる。それも社内の方針から一眼レフのみで。
今でも覚えているけど、初めてひとりで取材に向かうとき、一眼レフの説明を受けた。シャッタースピードと被写界深度の関係について。まだ、フィルムについてのアドバイスはなかったけど。
だから、僕にとって写真は、フィルム撮影が基本だ。なぜなら、その場で撮り直しがきかないから。ましてや現像されるまで、イメージ通りのものがあがってくるかどうかさえもわからない。
何度、撮影可能枚数を越えたフィルムを巻き上げたり、露光を間違えた写真が現像されたりして冷や汗をかいたことか。
そのとき、その場所での一回限りのデータを消去できない、自分と被写体との「絶対関係」。それが僕にとっての写真。
話を戻そう。その写真家とは、安齋重男(一九三九年―二〇二〇年)。
安齋さんと初めて会ったのは、草月出版の編集部。美術評論家の篠田達美氏との連載対談のために、彼が来社したときのこと。僕が初めて担当した美術関連のページだった。今思い出しても赤面するほど、ひどい原稿にまとめてしまったのだけど。
安齋さんとは、何度か一緒に出張したことがある。その際に、仕事を離れていろんな話を聞かせてくれた。若い頃に滞在していたニューヨークで、駆け出しのローリー・アンダーソンを深夜に励ましたこと。ある著名な写真家に、「安齋はうまいとこ(=立ち位置:筆者補足)見つけたよな」と評されたこと(当時、アート作品をメインに撮影する写真家は、ほとんどいなかった)。今では、伝説的なアーティストたちの素顔、などなど。
特徴のあるダミ声で語るエピソードの数々には、悲壮感や暗さはなく、どこかしらユーモアに満ちていた。何よりも現場とひとへの愛情が伝わってくる語り口だった。
ドイツのカッセルでのドクメンタ展で野外作品を撮影していたときのこと。通りがかったギャラリーが、彼の撮影風景を不思議そうに眺めて質問してきた。自分で改良したカメラのアオリを説明し、ファインダーをのぞかせて驚かせたことを愉快そうに話してたっけ。
僕が写真家としての安齋さんをスゴイと思うのは、先の写真家の評とは違った意味で、立ち位置がほかの写真家と違うと思うから。それには彼の来歴が関係してくる。
写真家になる前に、安齋さんは独学で油絵を描いていた。だからか彼の写真の構図はキマッテル。まるでデッサンのように。そう、安齋さんは、写真で絵を描いていたのだ。
あるとき、安齋さんに、かつて描いた絵は、どうしたのかを尋ねたことがある。
「カンヴァスに丸めて、自宅の倉庫にあると思うけど」
めずらしく照れながら答えてくれた。そしていつものダミ声で、こう応えてくれたのだ。
「ケンちゃーん、おもしろいを仕事しようぜ」。
2025年7月15日
(つづく)