松風 第三回
目利きのひと
北野健治
勅使河原宏(以下、「宏」)氏の夢を見た。個展を開催し、そのオープニング・パーティと翌日の出来事。仕事の上司でありながら、同じ志向性を持つ者のインティメイトなやり取り。
実は、私とK・I(樹)が知り合ったのは、宏氏が社長を務めていた出版社。宏氏との縁で言えば、私が初めて家庭用ビデオデッキを購入した際に手に取ったのは、彼が監督した『アントニー・ガウディー』だった。さらに興味深いのは、戦時中に彼が疎開した学校は、私の故郷の島にあったこと。
宏氏が面白いと思うのは、その経歴と立ち位置だ。新興いけばなの創始者の長男として生まれた彼は、のちの芸大に入学。当初の日本画科から洋画科に移る。在学中に、前衛芸術のサークル「世紀の会」に参加。また日本共産党に接近し、一九五一年に「山村工作隊」に参加する。
卒業後は、映画監督として活動するも、父と家元を継いだ妹の相次ぐ死去のため、いけばなの三代目家元を継承する。その傍ら、陶芸・書を始めとするアート活動を終生行う。
彼が異彩を放つのは、自身の作家活動だけではなく、若く才能のある人を見出し、後押ししたということ。それには、彼の資質だけではなく、時代を反映した多彩な人脈とフィールドも大いに寄与している。
フィールドでいえば、一九六〇年代の草月アートセンターがある。当時のインディペンダントな映画・音楽・美術の制作・発表の場として、ジャンルを超えた人たちが交流した。宏氏は、センターのディレクターだった。
現在放映中のNHKの大河ドラマでは、蔦屋重三郎が主人公だ。彼もまた、江戸時代の版元として多数の作家を発掘、交際している。いわゆるプロデューサー。宏氏と似ていると思う面がある。
私見だが、プロデューサーとディレクターの違いを語ってみたい。プロデューサ―は「鼻利き」で、ディレクターは「目利き」。
宏氏の終生の友人のひとりに、彼の映画音楽をいくつも手掛けた武満徹氏がいる。彼もまた独特の経歴の持ち主だ。ほとんど独学で作曲を学び、現代音楽家のスタンスを確立した。武満氏の人生のエポック・メイキングな出来事に、瀧口修造氏との邂逅があった。
瀧口氏も、戦前・中と戦後に分けて、陰影に富んだ人生を歩んでいる。スポットを当てたいのは、武満氏も参加した「実験工房」のこと。美術のメンバーが多いが、一九五〇~六〇年代の若手アーティストたちの精神的なバックボーンの場をつくる。
宏氏も瀧口氏も、肩書が付けづらい。しいていえば、目利きのひとだ。これからの人たちをジャンルを超え、その精神の発露の方向性を確信し、必要なサジェスチョンを伝えながら後押していく。
鼻利きも、目利きも必要だ。ただ個人的な心情として目利きの方にシンパシーを感じる。
ここで宣言しよう。この「松風」を目利きの場に育てていくことを。
2025年5月2日
(つづく)