松風 第三三回
奄美大島で『ユリシーズ』を撮る
Our Project Series 2
北野健治
「土地の力」というものは、ある。
前職は転勤族だった。東京をスタートに、兵庫県の三田市に約3年、その後鹿児島県の種子島に単身赴任を含め10年ほど在住した。
「文化」と「文明」の違いがある。英語で文化はカルチャー、文明はシヴィリゼーション。カルチャーの語源は、「カルチベイト」で「耕す」に由来したはず。一方、シヴィリゼーションは、市民の「シヴィル」。語源からも、文化は土地に根差している。
どこで生まれ、生きてきたか。ひとに出身は訊くけれど、それがその人の人格や人生にどのような力を与えたのかを考えることはまずない。でも、「県民性」という言葉があるように、その人の生きる力に影響を及ぼしていると僕は考える。
こんなことは言い出したのは、ある小説を読んでいて感じたことが発端。
その小説は、『ユリシーズ』。アイルランド出身のジェイムズ・ジョイスの作品。
この作品も、大学時代から何度もトライしながら読み進めることができずに、途中で挫折した作品のひとつだった。
一昨年の前職在職中に、ある事情から青森県に一ヵ月ほど長期出張することになった。それを機に読了した。これも、時機だけでなく、土地の力がなせる業かも。
『ユリシーズ』は、「冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。」(※ウィキペディアから引用)
『ユリシーズ』には、もう一人の重要人物がいる。それは、スティーヴン・ディーダラス。彼は、この作品に先行して発表されたジョイスの初期の作品『若き芸術家の肖像』の主人公でもあり、ジョイス自身が投影されたとも言われている人物。
物語は、6月16日の早朝から始まる。二人それぞれの朝の風景を章別に表し、二人が出会い、終章のブルームの妻の独白の前章で別れまでが描かれている。
この作品の特長のひとつは、一日がダブリンという街を舞台に描かれていること。アイルランドという島国の港町というシチュエーションをもとに風俗をからめ二人の行動が書き込まれている。
読み進めるうちに、この作品を日本の風景に移植したら、どんなものかと想像するようになった。それを日本の現在の文脈の中で映画にしたら、どんなものになるだろうかとも。
そのとき頭に浮かんだのは、奄美大島のことだった。
鹿児島の、その中でも種子島に転勤するまでは、隣に位置する奄美に対する知識はほとんどなかった。せいぜい画家の田中一村が晩年を過ごし、その風土をモチーフにした作品を描いた土地。また、元ちとせをはじめ、個性的な歌手がいるということぐらい。
鹿児島県の前身、薩摩藩は独特な文化を持つ。一般的に「城」をイメージする天守閣は築かない平山城を中心に、各地を家臣に護らせる外城制度をとっていた。また地政学的に離島の多い薩摩は、琉球と奄美に対しては、厳しい保護政策を行った。とりわけ奄美には。
沖縄については、日本が行ってきた差別的な行為に対しての言及を目にすることが多い。しかし、その陰に隠れた奄美大島に対しての厳しい弾圧に対しては、取りざたされることはあまりない。というか、ほとんど目にすることはない、
奄美は、薩摩に併合されるまでは、琉球の配下であり、搾取・差別されてきた。その琉球が薩摩に併合されると、当然のように奄美は薩摩からも差別される。
その判りやすい例が、一字姓だ。「(島津重豪〈1745‐1833〉の時代)に、本領を差別化するために一字の名字とすることに改められ」た。(※ウイキペディア「奄美群島の名字」引用、〈〉内は筆者補足)
つまり、本領の人物でないことがすぐわかるように一字姓に改姓させたのだ。先に触れた「元」姓もその一例。
もうひとつ、近現代のことで言えば、沖縄がアメリカから返還されたことは人々の記憶に鮮やかだ。が、実は奄美も戦後の一時期をアメリカの占領下に置かれていたことを知る人は少ない。
日本に復帰したのは。1953年(昭和28年)12月25日のこと。それまでは、鹿児島県に入るには、密航を余儀なくされていたという事実を僕は知らなかった。
話を戻そう。
アイルランドも、イギリスとの由々しい歴史を現在に至るまで持つ。それになぞらえての島国としての奄美。その一方で、薩摩の独特な言語文化の影響下で歴史を刻んできた。それは、英語文体史を作中で表現した『ユリシーズ』ともシンクロするのではないか。その他諸々。
原作をそのイメージ通りになぞらえるのは、ナンセンスだ。かつて、劇作家のつかこうへいが、代表作の『熱海殺人事件』を演出するにあたって、その主人公である部長刑事の造詣を一般的な刑事として落とし込むこまれることに閉口する、といったエッセイを読んだことがある。
対象の一般的なイメージからできるだけ飛躍しつつも、リアリティーを持たせることができるか。それが原作を基に制作する作品の要なのであり、制作することの意味でもあるのだ。
奄美大島で『ユリシーズ』を撮る。これは、「土地の力」を借りた大きな実験であり、挑戦になるはずだ。それが映し出す新たな「土地の力」の姿を僕は観てみたい。
2026年5月17日
(つづく)
